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知らない内にお別れしていたのですね
突然の訃報で、落ち着かない自分の心を落ち着けるために、故人を思いながら、昔のことを綴ります。
今年2020年の6/6に、HMさんが75歳で旅立たれた事をご家族から、今日お葉書をいただきました。私との年齢差は18歳でした。HMさんは、私が社会人として初めて勤めた会社の最初の上司でした。一緒に仕事をした期間は、5年程度でしたが、今の私の仕事の考え方・進め方にも大きな影響を受けていす。
イノベイティブな方でした
HMさんは、もう40年前ですが、バイオロジクスのプロジェクトを進めながら、精製の効率化を目的に、「自動精製装置」称した装置の開発を並行して進められていました。4℃の冷室に分画分子量の異なるホローファイバーと送液ポンプを1セットとして、ラボカートに複数台を組み合わせて載せてありました。私も、工作が好きだったので、自分の仕事の傍(かたわら)、横目でその稼働の様子を観察していました。新しいものもお好きで、パソコンも、シャープのMZ-80や東芝のパソピアなども導入して、ウイルス活性TCID50などの測定などにも活用していました。
強い影響
そのように、イノベイティブな方だったので、私も色々と自由に予算を使って研究をさせてもらいました。サイエンスについては、主たる仕事なので、当然自由に予算を使って研究をしていましたが、「自動精製装置」について、私も意志を継ぐ形で、独自に関わりました。まあ、今思えば遊びですね。私の場合は、自動精製装置といつても、当時Milliporeから新製品として出てきた、Pellicon Cassetteにステンレス配管、送液ポンプとインバータによる流量調整、液面センサーによる濃縮と送液のコントロール、電磁バルブによるによる洗浄ステップの自動シーケンス、などの一連の自動化したタンジェンシャルフロー・システム(TFF)の開発です。この自動精製装置に付随して、ハード面では、アナログ/デジタル変換(A/D, D/A変換)、ノイズキャンセリング技術、ソフト面では、Z80のマシン語、BACISプログラミングなども触れる機会を持つことができたのも、HMさんのお陰です。
会うタイミングを逃してしまった
数年前の年賀状に、「また会いませんか」と書かれていたのですが、印刷で書かれていたので、年賀状を書かれた宛先には全てに、そう書かれていたと思っていました。今、思えば、私に対して書いたものと思われてきます。そう思う理由は、その年まで、年に1回程度の連絡を取っていた事や、その年の年賀状を出した時、その返事として、返ってきた「年賀状」に書かれていたことから、私に対して書かれたと思われます。
連絡を取らなかったことが非常に残念に思われます。当時、私も仕事にやりがいもあり、かつ、強いプレッシャーも受けていた時期でした。でも、残念で仕方ありません。
ご冥福を!
お別れですね。ご冥福をお祈りします。
2020/11/13 Harikir(Mr)