IT、いまはICT – コンピータとの出会いの切っ掛けは工業高校での熱心な先生 [2019/12/09]

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はじめに

IT (Information Technology)は、使用する者の能力を上げてくれる甲冑と剣、外部の脳、などになるとの認識をずっと抱いています。高校生の時に、先生の好意で、授業外でFORTRANのプログラミングを教えてもらったことがあります。if-thenとかelseとかあったと思います。FORTRANは科学技術計算に使用され、一方、COBOLは事務計算に使用されていました。使用できるデータ型が、それぞれ、小数点計算が得意かどうかの違いだったのではないかと思います。FORTRANを実行させるためには、そのプログラムをコンピュータに入力するのですが、紙に穴を開けたパンチカードで入力する時代です。

今は、Network/SNSなども含めてICT(Information Communication Technology)と言われています。

1980年代

会社では、MSXパソコン、シャープのX68000で、Z80マシン語、BASIC、C言語でプログラミングしてました。これらは、一般ではゲーム機の認識ですが、僕はプログラムをしたくて触っていました。MSXパソコンは、当時、仕事で得た実験データの取込みと解析に使っていました。解析ソフトはBASICでしたが、改良をしながらBASICを勉強しました。MSXは誰でもその仕様を使える共通仕様が公開されていました。内部仕様が解説された書籍は、散々購入してプログラミングに使用しました。

その後、IBMパソコンを会社で触っていましたが、IBM互換機が出始めて、IBM互換機を自作をしたりしました。今では、IBMパソコンが無くなったため、IBM互換機とは言いませんね。この時期まで、パソコン雑誌を散々買って読み漁っていました。MSX関連では、”Hit Bit”、”MSXマガジン”、PC関連では、”パソコンマガジン”、”インターフェース”、・・・(思い出したら追加します)

1990年代

メカトロニクスにも興味があり、ワンボードマイコンに拡張ボードを解けて、RS-232C通信でMSXパソコンとデータのやり取りをしたり、リレーボードをつけて、機器のオンオフ制御をしたり、AD/DA変換ボードをつけて、アナログデータの出力/入力をしたりしするマシン語プログラムも作ったりしてました。

一番大掛かりな装置を組んだのは、分かる人しかわからないのですが、UF/DFの濃縮を自動制御するマシンと制御プログラムです。機会があれば、blogでも紹介したいとおもっています。

2000年代

ファクトリーオートメーションのコントローラーは、シーケンサーと呼ばれます。このプログラミング言語は、ラダープログラムと言います。昔は、これを使用したプログラムも散々しました。センサー、リレーを使って、機器の自動制御が可能です。

2010年代

今では、iPadやSurface、NASにも手を出してblogなぞもしています。自前のNASでのblog管理にはネットワークの知識が必要です。ぼちぼちですが、必要に迫られては知識習得しています。

ゲーム機

ゲーム機といえば、任天堂ファミコンは色々なゲームに、セガサターンは当時F1全盛期でF1レースゲームがやりたくて、それ以降はなくて、任天堂Wiiはピクミンがやりたくて、Wii Uはスプラトゥーン、最近では任天堂Switchはスプラトゥーン2がやりたくて購入しました。スプラトゥーン2は、ラストフェスが終わってかよは、古参は居なくなってしまい、僕もいつまでもやっていてもむなしい感じがしてきたので、やめました。でも、スプラトゥーンは楽しかった。

こらからも

高校生の頃に自動で何かを計算するということに衝撃を覚えてから半世紀、自動化が僕の課題の1つなっています。

編集履歴

2019/12/09, Mr. Harikiri